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みなさまこんにちは!管理人のペンギンです!
当サイトをご覧いただきましてありがとうございます。
『FCS-3だけに注目が集まっている・・・』
最近の、海上自衛隊の護衛艦に搭載される『射撃指揮装置』は『FCS-3』が一般的になってきました。
しかし、射撃指揮装置はその前から着々と開発・実用化しています。
国産の射撃指揮装置の中には、幻の知られざる『68式射撃指揮装置(FCS-0)』が存在します。
この記事ではそんな幻の射撃指揮装置『FCS-0』についてご紹介します!
艦艇の『射撃指揮装置』とは?

護衛艦や軍艦など、艦船の射撃指揮装置とは、艦の武器射撃システムを一括管理するシステムのことです。
イージス艦でよく言われる『イージスシステム』も『射撃指揮装置』といってよいものです。
ミサイルが出現する1960~70年代までは、艦砲の射撃を管制するシステムという意味合いが強くものでしたが、現在は、ミサイル・魚雷・対潜システム・航空機管制など、いくつものシステムを統合的に管制するシステムに変遷しています。
いろんなサイトなどで『FCS-2(81式射撃指揮装置2型)』として紹介される写真があります。
図1 FCS-2として紹介される写真
引用URL:http://takaoka.zening.info/JSDF/JMSDF/Chikuma/photo/Dfx_5866_m.jpg
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実際は、射撃指揮装置の一部分『方位盤(イルミネーター)』のみが撮影されているのです。
本当は、いろいろ複雑なシステムが艦内に存在するのですが、わかりやすい光景として『方位盤』が使われます。
図2 FCS-2の運用
引用URL:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2003/2003/image/15z23201.gif
『方位盤(イルミネーター)』から、レーダー電波を照射して、目標攻撃を行うのが、射撃指揮装置の使い方になります。
現在では、『ひゅうが』以降、FCS-3系統の射撃指揮装置3型『FCS-3』が主流となりました。
図3 FCS-3(『ひゅうが』搭載のFCS-3改)
引用URL:http://takaoka.zening.info/JSDF/JMSDF/Hyuga/photo/Dsc_3949_m.jpg
これが幻の射撃指揮装置『FCS-0』だ!

『FCS-0』または『68式射撃指揮装置』については、写真資料が少なく幻の存在となっていました。
私も現役時代に、1度だけ開発関係資料にて見たことのある貴重なものです。
写真は、昭和40~41年に行われた、護衛艦「はるさめ」に搭載されて海上試験を実施中の写真です。昭和35年(1960年)から開発が開始され、昭和43年(1968年)に制式化されたものです。
国産の射撃指揮装置を目指して・・・
当時は、米国から輸入された射撃指揮装置が主流でしたが、国産の護衛艦に合う国産射撃指揮装置を作ろうという考えで開発が行われました。
開発が始まったころは、デジタル計算機やLSIなど高性能の電子機器がない時代です。
その中で、アナログ計算機と真空管などで、砲射撃管制を目指した野心的な計画でした。
レーダー方位盤の無人化など、艦砲射撃が主体の時代において、きわめて挑戦的な射撃指揮装置を作ることになりました。
紆余曲折の末、『68式射撃指揮装置』として戦後初の射撃指揮装置として完成したのが『FCS-0』なのです。
問題点も多数あって『GFCS-1』へ発展・・・
完成した『68式射撃指揮装置』ですが、当時はまだミサイルではなく艦砲が攻撃の主力でした。
そのため、用兵側の要請により多数の改善が行われ、方位盤の有人化・真空管のトランジスタ化など多数の改良が行われました。
その結果登場したのが、1972年制定の『72式射撃指揮装置(GFCS-1)』になります。
図4 GFCS-1に発展
引用URL:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-04-f3/ef_end_63/folder/1213263/32/41182732/img_1_m?1445610070
しかし、時代は対艦ミサイルの出現や、航空機の高速化により、より高速・小型目標に対する対処が必要になりました。
その結果、ミサイルを念頭に置いた『81式射撃指揮装置(FCS-2)』の登場となります。
国産の基礎となった『FCS-0』・・・
『68式射撃指揮装置』は、方位盤の無人化など当時としてはかなり野心的な計画となりました。
しかし、時代の趨勢と当時の技術力のとの兼ね合いから、改善が必要なものとなりました。
『GFCS-1』を装備した護衛艦が就役したころには、ミサイル全盛の時代に進んでいき、装備体系が後手に回ったところがあります。
しかしながら、この『68式射撃指揮装置』の開発が基礎となって、現在のFCS-3につながる高度な日本独自の射撃指揮装置の開発の基礎となったとも言えます。
第二次世界大戦のころに、日本海軍の艦艇にレーダー(電波探信儀)にて、射撃管制を行おうとして、未完に終わった結果がありましたが、ついに国産でレーダー射撃を行えるようになったのが『FCS-0』なのです!
日本海軍の悲願が、戦後になってようやく実現したといえます!
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